曇りの夜は暖かい

兎にも角にも朝が来たら起きなければいけない。

自由のもとに生まれた私たちの不自由さ

久しぶりに連絡をした友人は、職場で嫌がらせを受けたことでうつになり、休職していた。

「こんなことをされる自分は、少し人とは違うのかもしれない。」

そんなことを言っていた。

人は何にでも、何かしらの理由を探したいのだ。もし物事が起こることのすべてに理由があったとしたら、私たちはどれほど救われるだろうか。

この世に起こることすべてに理由があって、それを理解することができたのなら、こんなにも悩むことも苦しむこともきっとないのだろう。

友人は、たまたまその職場で働くことになり、たまたまそういう人と遭遇したに過ぎない。たまたまその土地に生まれ、たまたまその両親のもとに生まれたのだ。人が生きていることや生まれたことなどは、たまたまに過ぎない。そこに理由など、本当にあるだろうか。

 

人は他の動物と比べて自由に行動範囲を決めることができる。生まれた土地で一生を過ごさなくてもいいし、寒い場所が苦手なら温かい場所へ行ける。海の向こうへ旅立つこともできるし、空も飛べる。どこにでも行けるのだ。そうであるのに、そうであるからなのか、私たちは温かい場所が好きであるはずなのに寒い場所へ住んだり、自然が好きであるはずなのにアスファルトに囲まれた場所に住むこともある。

自由のもとに生まれた私たちの不自由さは、いつでも自分で決めることができるのに。いや、自分で決めなければいけないのだ。