曇りの夜は暖かい

兎にも角にも朝が来たら起きなければいけない。

忘れられない言葉たち

「生きているだけでお金かかるよね。」

と言われたことがある。

私が持病をもっていて、病弱であることに対しての一言だった。

病院の受診代に薬代、手術費用や入院費、そうでない人と比べたら確かにそうなのだろう。しかし実際のところ、それは本当の意味で比べることはできないのだから、自分では一切気にしたことがなかった。

 

忘れられない言葉は他にもいくつかある。要は根に持っているのだ。

 

一回り以上も年の離れた人と会う約束をしていた時のこと、前日に約束を断られたことがある。理由は体調不良だった。約束を前日に断られることは何度かあったが、体調不良という理由は初めてだった。しかし、後に体調不良が嘘だったことを知る。前日に約束を断られたことが悲しかったのではない、当然嘘をつかれたということに腹は立てていたが、それだけではない。私の中でふつふつと湧き上がり、どうしよもなく抑えきれなくなってしまった。沈黙を破り、後から傷ついたということを相手に伝えたのだ。私は淡い期待を寄せていたのかもしれない。あるいは、それは祈りに近かったかもしれない。今思えば、伝えた自分が愚かだったのだ。相手から返ってきたのは、

「知らないうちに人を傷つけることもあることを知ったほうがいいよ。」

という言葉だった。ひと言謝られたが、それは建前だった。張りぼての謝罪は滑稽で、その言葉を掛けられた自分はさらに惨めだった。

人を傷つけずに生きている人はいない、ということを知らずに生きている人はどれほどいるのだろうか。

 

忘れられない過去の言葉たちが、時々今の自分をも苦しめる。しかし苦しめているのは、他でもない自分なのだ。