曇りの夜は暖かい

兎にも角にも朝が来たら起きなければいけない。

しなければいけないこと

働きたい、そう思ったのは4度目の治療がうまくいったからだ。何かを人生において成し遂げたいと思ったことはないが、やってみたいことはいくらかあった。ただ、そのやってみたいことというのは、働くこととは別のところにあった。だから、仕事において何をやりたいのかと聞かれると、返事に困るのだった。

仕事を辞めてすぐは、正直しばらくは働きたくないと思った。そう思うのは、生まれつき健康には恵まれなかったものの、衣食住には恵まれていた方だからかもしれない。「あなたは両親に愛されて育ったでしょう。笑った顔がそういう感じがするのよね。」

学生時代、その日初めて会った婦人にそんなことを言われたことがあるくらいには。

だからなのか、働くということは、他でもない自分のためであるが、そういうことが抜け落ちていた。なにかの中から選べるということは、2つ以上もあればとても贅沢なことのように思えた。

 

「好きなことを仕事にしました」「仕事は趣味の延長のようなもので」「やりがいのある楽しい仕事です」

生活のキラキラした部分だけが切り取られ、切り取られただけであればいいのだが、それがほとんど別なものに作り変えられていることはよくあることだ。人はときにだれかの幻想に惑わされる。見えているものや聞こえてくるものがすべてではないのだと、見えないものや聞こえないものの方がずっと多いのだということを何度も何度も忘れてしまいそうになる。

 

「世の中ってやりたくないことをやってくれてるひとたちで成り立っているって思うよ。」

ぼのぼの人生相談でぼのぼのちゃんが言っていた。

しなければいけないことも、やらなければいけないことも、本当はなにもない。

近所のスーパーのおばちゃんたちは今日も買い物かごをせっせと消毒してくれている。遠いところに移り住んだ友人には、誰かが自分の代わりとなって手紙を運んでくれる。玄関前に届くダンボール箱ひとつには、一体何人もの人の手がかけられているのだろう。そんな人たちに思いを馳せた。

履歴書を書いた。

 

歯医者に行くタイミングは難しい

歯医者に行こうと思い始めて、1年が経った。歯医者に行くタイミングが分からない。というより、なるべくなら行きたくないと思っている。しかし、もし虫歯が自分の知らないうちに進んでいたら怖いし、その時の治療の痛みのことを想像すると、行かなくてはいけないと思うのだ。

 

2年前、10年以上通院している歯列矯正の歯科医院に行った際、虫歯があると指摘された。

歯医者は歯医者でも、私が通っている歯科医院は歯列矯正が専門で、虫歯治療はやっていないらしい。「歯医者行きました?」

少し強めに聞かれた。指摘されるのは2回目で、1回目に指摘された時に歯医者へ行っていなかったのだ。できることなら行きたくない。

「歯医者、どこでもいいので、行ってくださいね。」

何度か念押しされ、いよいよ怖くなってきた私は近くの歯医者へ行き、治療をしてもらった。

 

虫歯は自分で思っていたよりも進んでいた。

「次は定期検診に来てください。」

その時、これからは毎年歯の定期検診に行こう、そう思ったのだ。

 

しかしそれから1年が経ち、歯列矯正にさえ行っていない。歯列矯正はもうほとんど終わっていて、アフターフォローのような形で様子を見ているだけなので、あまり行く気がしないのだ。「ここの歯の神経はもしかしたら死んでいるかもしれないので、後から痛くなるかもしれません。」

虫歯の治療をしてもらった歯科医にそう言われていた。

定期検診のメールがスマートフォンに届いていたが、引っ越しをしたこともあり、行くタイミングを逃していた。他の歯科医院に行けばいいのだが、結局どこの歯科医院へも行かずに月日は流れた。

 

年が明けて、持病の入院治療を予定していた1週間前、歯の痛みを強く感じた。

歯の痛みというよりは、神経がしびれるような痛みだった。すぐにその日のうちに実家近くに新しく開院した歯科医院へ行った。しびれは唇まで進んできた。これは虫歯が進んでいるに違いない。覚悟した。

 

「ストレスかけ過ぎてないかなあ。ストレスもねえ、まあほどほどにね。虫歯はないと思うよ。」

レントゲン写真を見せてもらいながら言われたことは、噛み締めすぎていることにより痛みが出たのだろうということだった。舌にはびっしり歯の跡が付いていた。

まさか、ここでもストレスと言われるとは。拍子抜けしたと同時に、治療によるあの痛みを感じなくてすむのだと思い、ほっとした。学生時代、強いストレスを感じ片耳が低音だけ聞こえなくなったことがある。今は治ったのだが、その時も耳鼻科で同じようなことを言われたのだ。

治療のために今は仕事を辞めているといえど、無職の人間が歯科医院で歯の痛みの原因がストレスだと言われていると思うと滑稽だった。一体なんのストレスがあるというのだろう。

「ストレスかけ過ぎないようにね。」

そう念押しされ診察室を後にした。

 

ストレスはある程度必要なものではあるが、強すぎると体のどこかに支障が出てくる。弱すぎても強すぎてもいけない。ストレスは風船のように膨らんだりしぼんだりしている。破裂しなければまあいいか、会計を待っている間そんなことを考えていた。

 

無口な父

私の地元である小さな街には、なぜか近いところにドラッグストアが3軒もある。スーパーも同様で、なぜかこれまた3軒もある。その内2つは敷地は違えど隣同士に並んでいる。1箇所にドラッグストアとスーパーが集まっているこの謎は、いまだによく分からない。

かつて田んぼだった場所は、いまは土地開発が進み、工事の真っ最中である。4軒目のドラッグストアと、4軒目のスーパーが立とうとしているのだ。一体ここの住民たちは、といっても私の地元なのだが、どれほどの物を消費しているのだろうと想像するとなんだか少しゾッとする。

 

「回転寿司が入るらしい」「本屋ができるらしい」「カフェもあるらしい」

建設途中でまだ何が建つのか知らない住民たちの間では、しばらくそんな噂で持ちきりとなっていた。どうやら、ドラッグストアとスーパーの他にもいろいろとお店ができるようだ。

もちろん、噂をするのは私の家族も同様で、滅多に口を開かない父も参加した。父が声を発することは余程のことがない限りまずないのだが、たまにぼそぼそと口を開く時がある。しかしそれは予測不可能で、たまに突拍子もないことを言い出すのだ。

 

「…ウオペイができるらしい」

父が突然新聞に挟まっていた建築予定の書かれたチラシを見て言った。洗濯物を干している母はよく聞こえていない。

「…ウオペイ」

ややかすれた声で何度かそう繰り返し、必死に母に向かって言うのだった。

「ウオペイ」

 

兵べいのことだった。

おそらく回転寿司の兵べいと電子マネーのPayPayが混じったのだろう。

兵べいのことをずっとウオペイと思っていたのだろうか。怖い、もし周りに言っていたら父はとんだ恥をさらすことになるだろう。しばらくしてから私は恐る恐る母に聞いた。「外でもウオペイってずっと言っていたのかな。」

「外でも喋らないでしょう。」

母の一言で話は終わった。

 

私はまだウオペイ以降、父の声を聞いていない。

美しいグリーンの稲が水面のように風になびいていたあの場所は、灰色のセメントでぼたぼたと押し固められていく。変わりゆく街で、父だけはいつまでも変わらないのだった。

 

 

自分の嫌いなものが分からない

自分の嫌いなものが分からない。「自分が好きなことをやりなさい」とか、「自分が好きなことよりも嫌いなことを考えよう」とか、そいう言葉を本で目にすることが増えた。

自分が好きなことは少しずつ分かるようになってきた。それが分かればそれでいいとも思うが、私は自分の嫌いを少しだけ意識して生活することにした。

 

数ヶ月前のこと、自分が苦手なものを無意識にでも好きだと思いこんでいることがあるのかもしれないと思った。好きだと思っていることの中に、嫌いが混じっていることがあるかもしれないということだ。

私は小さい頃から体調を崩すことが多く、よく病院に行っては点滴を打ってもらっていた。先天性の持病があることが分かってからは治療のために入退院を繰り返し、数え切れないほどの採血や点滴で針を刺された。子供の頃、「注射は好き?」と周囲の大人たちに聞かれることが多く、注射は好きだと言っていた。実際、その時は本当にそう思っていた。

最近また、注射は好きかと聞かれることがあった。しかしもう好きだと言うことはできなかった。そうだ、本当は注射は嫌いだったのかもしれないとその時気づいた。できるならほんの少しの痛みでさえも感じたくないと思っている。けれど、何度でも痛みはやってくる。私の血管は細く、何度も針を刺した血管は固くなり、刺しにくいのだと医師や看護師は言う。血管は針を刺すようにつくられてはいない、そう思ったが、先月も10回くらい太い点滴針を刺し直されたのだった。子どもの頃は好きだった注射は、何度も何度も刺されるうちに嫌いになったのかもしれないが、子どもの頃はそれを好きだと思うしか治療に耐えられなかったのかもしれないとも考えた。自分の嫌いを意識することは案外難しい。

 

他にも、私はどうしても合わない人とでも仲良くしてしまうことがある。この世に自分のことを「好きな人」と「嫌いな人」と「どうでもいい人」は、「2:1:7」の割合でいるらしい。嫌いな人や気の合わない人がいるのは仕方のないことなのだ。だから、嫌いな人は嫌いと割り切ればいいのだが、嫌いな人を嫌いだと思えないところが私にはあった。嫌いな人とでも仲良くした結果、いままで散々な目に合ってきたというのに。いい加減、同じことを繰り返すのはやめようと思っているのだが、少し前までは嫌いだと思うことになぜか罪意識のようなものさえ感じていた。

だから、嫌いとは思わなくても、引っかかるものや違和感を感じるものについては、本当は嫌いなのかもしれないと思うことにして、スルーせずに立ち止まって考えることにした。以前までは、不快な思いをしたことを言われても、平気なふりをして笑っていたし、引っかかったり違和感を感じていても見ないふりをしていたのだ。その結果、ひどい目に合うことが多かったので、嫌いなものを認識することは、私にとっては訓練なのだ。もちろん、嫌いだからといって避けられないこともある。注射は治療のために打たなければならないし、最初から嫌いな人が分かっていれば避けられることもあるかもしれないが、嫌なものは突然やってくるものなのだ。

しばらくは、引っかかった言葉や違和感を感じるものについて、メモに書き留めておこうと思う。それを避けるかは別問題ではあるが、嫌いだと自分だけが認識していることに、なんだかとても意味があるような気がするのだ。

 

仕事を辞めて6ヶ月と23日が経って思うこと

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

療養といえばそうなのだが、実際はただの無職で、仕事を辞めてから今日で6ヶ月と23日が経った。仕事は持病を理由に辞めた。病気の人を止める人はいないだろうと思ったからだ。実際止める人は誰一人いなかったが、それはそれで寂しくもあった。

持病というのは本当で、私には生まれつきの持病がある。人生で9回目の入院を終えて退院から3日経った今日、ストーブに当たりながら以前よりも細くなった指で、今こうしてカタカタとキーボードを叩いている。

 

20代が持病を理由に辞めるというのは自分が思っているよりもずっと世間は想像し難いようで、周囲は心配する人よりも不思議がる人の方が多かった。

持病があることを誰にも言わずに働いていたので、不思議がるのは当然といえば当然なのだが、こういうとき、人は3通りに分かれる。本当に心配をしてくれる人、心配するふりをして根掘り葉掘り聞く人、全く人に興味のない人だ。本当に心配をしてくれている人と、全く人に興味のない人というのは、案外見分けるのが難しい。本当に心配をしている人は、声をかけられないものなのだ。かくいう私が、本当に誰かを心配しているときは何も声をかけないからだ。しかしその2通りの人間と、心配するふりをして根掘り葉掘り聞く人には、はっきりとした違いがある。話を聞き出そうとしてくるかしてこないかだ。そいうわけで、私はそいう時ばかりに心配するふりをして根掘り葉掘り持病のことを聞いてくる何人かに淡々と説明をして、逃げるように仕事を辞めたのである。

 

療養という形で実家に戻ったが、しばらくの間は登山をしたり旅行をしたりしようと思っていた。しかし思ったようにならないのはいつものことで、退職してからというもの毎月のように高熱を出した。大抵は数日で熱は下がるものの、体力は熱を出すたびに落ちていった。

人生で始めてハローワークというというところにも通った。ハローワークという言葉を発したのは、「13歳のハローワーク」以来だと思った。ハローワークがなんなのかさえ知らなかった10歳の頃の私は、大人になった自分がまさかハローワークに通っているとは微塵も想像していなかった。しかし人生はそいうものなのだ。自分が想像した通りに人生が運んだことが1度でもあっただろうか。

 

仕事を辞める8ヶ月前、既に心は折れていた。毎日が辛く、冷たい雨のようだった。淡々とただ暮らすということができたなら、どんなにいいか。ここではないどこかへ行けたのなら、私ではない誰かへなれたのなら、きっと開放されると思っていた。そう信じていた。だから、本屋では「変われる」とか「身軽になれる」とか、そういうワードがタイトルになった本を次から次へと手にとった。読んだだけではない。できるだけ実行するようにもした。仕事を辞めようと決意する前、私は化粧品、洋服、料理道具、家具などをほとんど処分した。最低限必要なものだけを残し、部屋には処分に迷った厚さ10cmのマットレスと姿見だけが申し訳無さそうにそこにあった。はたしてなにか変わったのだろうか。がらんとした部屋は前よりも音が反響するようになり、窓やドアの隙間から入ってくる風は以前よりも冷たく感じた。

 

なんにもない。時折、自分のやっていることが虚しくなり、小さな部屋の小さなキッチンに小さく座っては、ただなにも考えずにじっとしていた。そうすると、次第に心が落ち着ついていくのだった。それは静かな海の水平線を眺めているときとどこか似ていた。

 

波は音も立てずにゆっくりと膨らみ、大きくなりすぎた波は一番高いところから一気に崩れ落ちていく。鉛のような波は細かく砕いたガラスのような泡となっては、パチパチと跡かたもなく消えていく。そしてまた繰り返し、繰り返し波はやってくる。変わらない秩序がある自然の美しさ。変わりゆく中で変わりたいと願い、どこかでは変わらないものを求めている。そんな気もするのだった。