曇りの夜は暖かい

兎にも角にも朝が来たら起きなければいけない。

私の持ち物は

実家に戻ってからは、母が結婚当初に買った化粧台を机として使っている。天板の一部に曇りガラスがはめ込まれており、引き出しは桐で作られている。大きな鏡が付いていたのだが、幸い取り外せるようになっていたため、小さな化粧台でも机として使うことができた。椅子は化粧台とセットのもので、座面はジャガード生地で包まれたクッションが取り付けられているが、決して座り心地がいいわけではない。

自分の背中の半分ほどしかない背もたれの椅子に座り、天板にはめ込まれた曇ガラスの上にノートパソコンを置いてこれを書いている。

ノートパソコンはというと、これまた兄から譲り受けたものだ。

こうして自分の持ち物を見ると、誰かから譲り受けたものが多いとつくづく思う。

1つだけ持つことにしている本棚も、元々は兄が使っていたものであるし、働いている時に毎日していた腕時計は、祖母が会社員時代に使っていたものである。

自分の知る誰かが使っていた物は、どこか柔らかい雰囲気を纏っている。しかし決して綺麗ではない。小さな傷が多少なりとも付いているし、椅子の座面に至ってはクッション性もなければ色褪せてもいる。しかし決して汚いともいえないのだ。

便利でもない。譲り受けた腕時計は、針が止まると老舗の時計屋に行くしかない。比較的新しく出来た時計屋では、ここでは治せないと言われることが何度かあった。実家を出てから針が止まってしまった時にはひとりで大慌てした。その時は偶然にも自宅近くに時計屋があり、夜、閉店時間間際に駆け込んで治してもらった。

 

新しいものは新鮮で爽快な気持ちにさせてくれるから好きだ。しかしこうして古いものも、目には見えない何かに包まれるような心地がしてほんの少しの自信が湧いてくることもある。

 

父の車にある、傷がいくつも付いた薄汚れた小さなゴミ箱は、母と結婚する前から当時乗っていた車にあったらしい。そこに描かれた三毛猫のキャラクターは、少しばかり哀愁さえ感じる。綺麗好きな父がなぜそれだけは捨てないのか、子供の頃は車に乗る度に疑問に思っていた。

ただ、大人になったいま、何となくその思いが分かったような気もするのだ。