月明かりに照らされると、寒さが少しだけ和らぐ気がしている。どうしようもなく辛い時、好きな人たちの顔を思い出すと胸の痛みが少しだけ和らぐように。
なにかを書きたいのに、なにも書けない。
そんな日は、あと少しだけ恋をしていたい。
月明かりに照らされると、寒さが少しだけ和らぐ気がしている。どうしようもなく辛い時、好きな人たちの顔を思い出すと胸の痛みが少しだけ和らぐように。
なにかを書きたいのに、なにも書けない。
そんな日は、あと少しだけ恋をしていたい。
街路樹のもみじが紅葉しているのを見て、そういえば秋だったのだと思い出す。秋は何も言わずに通り過ぎる。気がつけば秋を追い越すように冬が来て、遠慮なく居座るのだ。
先週末、通院している大学病院へ行った。まだ大丈夫だという気持ちと、疑う気持ちとで半々だった。定期的に治療が必要で、同じ治療だけで数えれば次で5回目となる。今年はすでに数回熱を出していたので、案の定といえばそうなのだが、自分のこととなると案外鈍感なのだ。
「今すぐにではないけれど、年度内にはね。した方がいいです、入院。」
予約時間よりも1時間以上過ぎていた診察で、30分くらいかけて丁寧に説明をされた。こんなにも丁寧に説明をされると、数時間前まで軽視していた現実の事の重大さを否が応でも突きつけられる。
外来が終わる時間が過ぎていたのか、診察室を出ると廊下の電気は消されていた。薬局が閉まる時間までは10分を切っていた。紙袋に詰められた薬は実際よりもずっと多く見え、採血管2本分の血を取られた左腕はなんとなく重く痛みさえ感じるのだった。
あと何度同じ光景を見るのだろう。あと何度この治療が繰り返されるのだろう。そう思うと途方も無いのだが、この世は考えても仕方ないことだらけで、ただ、風の冷たさを感じること、週明けは仕事だということ、夕飯は何を食べようか考えること、ただそれだけを感じながら病院をあとにした。
帰り道、今日も月はきれいだなと思う。じっと月を眺めていたいけれど、寒さは苦手なので急いで部屋に入る。
人とたくさん話した日は、帰ってから玄関でお香を焚く。檜の香りがついた線香で、香りと共に煙が部屋へと広がると、浮足立った心が平坦に戻っていく。そんな気がするのだ。気持ちをリセットさせる合図のようなものは、いくつももっていたい。
話したいことと話したくないことが人にはあって、果たして自分はどちらが多いのだろうとふと考える。たぶん、話したくないことの方がきっとずっと多いかもしれない。曖昧な表現で語ることは聞かれたくないことであって、それを敢えて聞かずに話を聴いてくれる人の優しさがなんと優しいか。聞くということを自分のためではなく相手のためにすること、そんなヒトの優しさに触れた時、たまらくほっとする。
今日も少しだけ暖めた部屋で、ほんの少しだけ煙たい檜の香りに包まれながら眠りにつく。すべての感情を抱きしめながら。
ベーコンにじゅわじゅわと焼き目をつけ、にんじん、じゃがいもを加えてベーコンの油となじませる。お湯を加えてぶくぶくと沸騰させて柔らかくなったら味噌を入れてひと煮立ちさせる。香ばしい匂いで満たされた味噌汁を飲む。幸せなんてそれだけでいいんじゃないかと思う。
昨日、「この暴力的な世界で好きなものが一つでもあればいい」というような文字を本屋で見かけた。
「暴力的な世界」。「好きなもの」。
文字を頭に浮かべたとき、やはり想起されるのは前者の方で、「好きなもの」はぱっと出てこないのだった。一瞬の間を置いたあとに思い起こされたのは、ものではなく人で、あああの人はいま何をしているところなのだろうと思った。そして、私の知らないところでも笑って過ごしていてほしいと願った。
もしも今この瞬間に暴力的な世界にいたとしたら、そこから死にものぐるいでも逃げるしかないだろう。
この世界は一つにはならない。それは、ある種の救いでもあるのだから。
インターネットを見ているとあれもこれもと欲しくなってくるのに、いざ買い物に出かけると何も買わずに帰ってくる。欲しいものなんて最初から何もなかったのだ。
仕事でどうしたって合わない人がいる。
どんな意見をどう伝えても無視されるので、ついに意見を言うことをやめたら食欲がぱったりとなくなってしまった。消化不良を起こしたのだ。
人は飲み込めないものを無理やりにでも飲み込むと、それ以上なにも飲み込めなくなるようだ。嫌いな人のイヤなところを上げればきりがないが、この世にはどうしたって自分と合わない人が存在する。それは当然のことであるはずなのに、人はそれでもそういう人たちといかにうまくやっていくかを考えてしまう。少なくとも私は。
人は変わらない。自分も相手も変わらないままでお互いが我慢を強いられずにいられること、それはお互いが別な道へ進むことだ。たとえすれ違ったとしても、軽く会釈はするが立ち止まらない。それは相手を尊重することであり、自分自身を大切にすることに他ならない。そして必ず別な道があるということ。
人は何度でも過ちを犯す。その度に、何度でも思い出せばいいのだ。
マンションの共通階段には、相変わらず見たこともないような虫の死骸が転がっている。何日目かの蝉は、影でじっと羽を休めている。死を待っているのだろうか。それとも、生き延びようとしているのだろうか。
世界はいつでもひとつではなかった。
ルビーレッドとブルーの夕焼けは、まるでサソリがこれが最後だと燃えるようで、美しさの中にも毒々しさがあった。
まだ大丈夫だとあと何回思いながら生きていくのだろう。