「傷つける人が傷つける」
そんな言葉を目にした。
それはどうしようもないのだろうか。どうすることもできないのだろうか。
雑草は、踏まれても踏まれても立ち上がると誰かが言った。
けれど、雑草は踏まれても踏まれても立ち上がらなかったから生き残ってきたのだと生物学者はいう。
弱いから、弱いままで生き残る方法を必死で探し、弱いままで生き残る方法を見つけ出していくのだ。それが生き物だと。
しかし弱いとは何なのだろう。人が勝手にそれを弱いといったに過ぎない。
弱さは強さで、強さが弱さであるのは、そういうことなのだろう。
「弱さを克服する」「心を強くする」「ストレスに負けないようにする」
かつて、私は必死に強くなろうとしていた。自分が自分を弱いと決めつけたのだ。そして、弱さを強さに、ではなく弱さを消して強くなろうとしていた。
けれども弱さを克服すれば、次なる強者に倒されるだろう。心を強くすれば、さらなる敵と戦わないといけなくなる。ストレスに負けないようにすれば、ストレスを避けることができずにある時死んでしまうかもしれない。
強くなろうとして、強くなれなかったとき、また弱さに出会う。
弱いままで、けれどもそれは勝手にそう人が言ったに過ぎないが、弱いままで生きていこう、そう思った。生きていくために。