曇りの夜は暖かい

兎にも角にも朝が来たら起きなければいけない。

価値のない希少な確率

「ねえ、同級生と同じエレベーターに乗り合わせる確率ってどのくらいだと思う?」

そんな私の唐突な質問に、友人はぽかんとしていた。

友人は私の今からする話を、なにかしらのときめきを感じる話であると思ったらしい。

だがそんなはずは、ない。

 

1ヶ月前、キックボクシングを習い始めるために、体験までして話を聞きに行った。しかし実際に行ったのはその体験の1回だけで、いまはなぜかホットヨガを習い始めている。汗をかくということだけは、似ているのだろうか。正直なところ、何でも良かったのかもしれない。なにか新しいことがしたかった。

 

そのホットヨガの教室はというと、ビルの12階にひっそりとある。その階は美容系のテナントが集まっていて、ホットヨガスタジオの他には、エステとか、脱毛サロンのお店が入っている。

ヨガではよく地面を押し上げてとか、大地を感じてという表現をすることが多いのだが、正直12階で大地を感じるには少し無理がある。いや、だいぶ無理があると思う。

 

初回、時間ギリギリに駐車場に付き、急いでエレベーターへかけ込んだ。12階のボタンを少し強めに押したが、強く押したからといって速く上がるわけでもない。しかしこういう時、ボタンを押す力はいつも少しだけ強めになる。

1階から12階へ上がるまでに、あとからどんどん人が乗り込んでくる。エレベーターは苦手だ。気圧の高さにも、人口密度の高さにも耐えられない。こういうとき、私は極力階数が表示されている上の方に視線をやり、人が視界に極力入らないようにする。大抵こうしていれば徐々に人が減り、気がつけば自分の降りるべき階にたどり着いている。しかしこの時だけは違った。なにか視線を感じるのだ。視線を感じれば感じるほどに私は視線を上の方へやった。なにか私がおかしいのだろうか。

そのなんとなく感じる視線から開放されたと同時に、一人男性が降りていった。

 

その男性の横顔を見て初めて、その男性が同級生だと分かった。しかしそう分かったときにはもう遅く、声をかける間もなく男性はすたすたと去っていってしまった。

その同級生であろう男性は、ただの同級生で、それ以上でもそれ以下でもない。好きでも嫌いでもない、何の感情も抱くことのないくらいに交流をしたことがなかった。しかし確実にお互いに誰であるかは分かったし、名前も覚えていた。そのくらいの関係性で、しかも降りた階が同じであるので、おそらくはお互いにエステかサロンへ行くだろうと思ったかもしれない。そういう状況で、その程度の関係性の同級生に声をかければ、間違いなく行く先はお互いに地獄だろう。

おそらく、同級生とエレベーターに乗り合わせることは人生においてこの1回だけである。

何の価値も何も起こらない、ただそういう希少な確率もあるのだということだけが分かった。