曇りの夜は暖かい

兎にも角にも朝が来たら起きなければいけない。

服がしっくりこない

クローゼットはガランとしていた。以前よりずっと増えた空のハンガーは、どこかきまりが悪そうに並んでいる。一体どれほど洋服を捨てただろう。いつからか綺麗な洋服が似合わなくなった。

 

社会人になって1年が過ぎた頃、私は登山サークルに参加した。知らない場所で知らない人たちの中で、どこかに繋がりを求めていた。運動経験といえば気が向いた時にするランニングくらいで、人付き合いも苦手であるはずなのに、その時の私は半ば勢いに任せて主催者にメールを送ったのだった。

今まで出会ったことのないような人たちだった。やっぱり辞めようか、とりあえず3回は参加してみよう、そんなことを考えながら、結局1年ほど私はそのサークルに参加していた。

サークルに参加するようになって数回目のこと、一回り以上離れたその日初めて会った男性に「なんていうのかなあ。なんだか僕たちとは住む世界が違う気がするんだよね。」

と何かを頭の中で探すように言われた。図星を突かれたような心地がした。その言葉は碇が海の底へゆっくり沈むように、今もまだ離れることができないのだった。

「あなた、この辺の人じゃないでしょう。」「なんか違うんだよね。そこで育ったようには見えない。かといって、どこでもない。」

今まで掛けられた言葉が走馬灯のように次から次へと想起された。ここにいる。ずっと私はここにいるのだ。それなのに、一体どこにいるというのだろう。どこへ行っても、どこにもいなかった。世界はまるでひと続きではなかった。

それからは髪もメイクもそれまで着ていた洋服も、すべてしっくりこなかった。なにもかも違う気がした。

その頃、同じ建屋で学生時代の友人が働いていることを偶然知った。私が階段を降りていくと、たまたま彼女が階段を登ってきた。彼女は私を見るなり言うのだった。「全然気が付かなかった。なんだかきらきらして見えるよ。」

彼女の言葉は何一つ私を捉えていないように思え、身に纏うもの全てが、自分自身が張りぼてのように思えてならなかった。

白いブラウスにコーデュロイのプリーツスカート、リブニットにエメラルドグリーンのフレアスカート、レースのカーディガンにニットのワンピース、それら全てがどうしようもなく厭に感じた。

 

仕事を辞め実家に戻ってからは、引っ越し前にも減らした洋服をさらに減らした。誰かと会うために着ていた洋服たちは、着られることなくそこに在った。クローゼットからは淡い色が消え、白と黒ばかりになったが、それでもまだ煩わしさを感じた。最低限必要な服だけが残されているはずなのに、それでも窮屈に思え、いっそ全てを捨ててしまいたくなった。出かけようと姿見の前で服を合わせてみても、なに1つしっくりくることはなく、ガランとしたクローゼットの前でただ立ち尽くした。