曇りの夜は暖かい

兎にも角にも朝が来たら起きなければいけない。

やさしい言葉が冷たい

「言ってくれればよかったのに」という言葉をかけられた時、行き場のない感情が渦を巻いて淀んでは、やがて底へと沈んでいった。

言えなかったのではない、意思をもって言わなかったのだ。言えば、なにかが変わったのだろうか。それはもう誰にも分からない。理由はぜんぶ後付けで、理由なんて本当はないように、それが過去になってしまえば何とでも言えるのだから。

 

やさしさってなんだろう。ずっとやさしさについて考えていた時期がある。

18の頃、私は男女ともに好かれているような子といつも2人でいた。元気な子と静かな子。光と影。私はクラスの誰とも話さず、目立たないようにし過ぎて逆に周囲から浮いていた。ある時嫌味を言うのが得意な別なクラスの幼なじみが私に言うのだった。「なんであの子と一緒にいるの?あの子はクラスの人気者って感じで、なんていうのかな、光と影みたいな感じじゃない。」

クラスの人気ものとはずれもの。2人とも一人ぼっちだった。

「かわいいよね」「やさしいよね」と周囲から毎日のように言われる人気者の彼女は、同時に傷ついているようにも見えた。何を言われても、何をされてもいつも笑っているのだった。彼女はたしかにやさしかった。

そんな彼女の隣で私はひとりやさしさについて考えを巡らせていた。やさしさは誰かと誰かの間にあるもので、1人では成り立たない。けれどもそれをやさしさと誰かが言った時点で、それはやさしさではなくなるような気もするのだった。誰でも何かの言葉に縛り付けられている。いまでもやさしさが何なのかよく分からない。しかし誇示されたやさしさが冷たさだということはよく分かる。

その数年後、私はある同い年の女の子から「優しいように見えて、本当は優しくないよね」と言われる。彼女にはなにが見えていたのだろう。その時良い気も悪い気もしなかったのはなぜだろう。